Recently・・2003/12
ここのpageを見に来てくれている人は、ほとんどが一般物理の先生たち、物質応化リテラシ受
講者&元受講者、教職物理実験受講者&元受講者、私の個人的な友人&知人、学内の一部の先生(偉い先生たちが覗いてないか心配です・・ハハハ)
で、・・・・年齢構成
は18−24才ぐらいが一番多くその次がたぶん30−40才なんだと思います。
この秋から冬(2003)にかけて何か特別に感じることがあります。よく知っている人、そ
の人の親の世
代の人、その人たちが病気でよく倒れています。悲しいことが多く耳に入ってきます。
厄年って言葉があります。ネットで調べてみると男性で24、40、41、42、60(数え
年で25、41、42、43、61)、女性で18、31、32、33、36、60(数え年で19、32、33、34、37、61)なんだそうです。それ以
外に0,2,4,6,9,12,23,29,51,54,59,63,69,72,76,81,84,87,90(数え年で1,3,5,7,10、13,
24,29,52,55,60,64,70,73,77,82,85,88,91)もなんかあるらしいです。90才までになんと24(男性)、25(女
性)回もある!3−4年に1度のペースふざけんつーの!多すぎだつーの!。まあまあバカにするつもりは全くないので・・・・。昔の人が考えたことには一部
は合理性や統計が含まれている物事が多いです。天気予報なんて典型ですね。ツバメが空高く飛ぶときは晴れ。低く飛ぶときは雨(これはえさになる虫が天気が悪くなりそうな
ときは雨からいつでも避難できるよう、そう遠くに飛ばないでいるのか?はたまた気圧の関係か?低いところにうろついている?そのため?)。天気が悪くなる
と山が近くに見えると雨(湿度によ
る空気の屈折率の変化か??)。猫が顔を洗うと雨になる(湿度で顔の周りのダニか何かが活発に動いているのか???)。なんていろいろありますね。きっと
厄年なんてのにも昔の人の知恵がどこか織り交ぜてあるのかもしれません。でも盲信するのには役不足ですけどね。確かに小さな子供や70以上
の高齢の時は生
き物として弱いので厄年の回数も多いのも納得します。私の母は商売柄か縁起担ぎやこの種の話は(商売上のお客さんとの話のネタでもあるのでしょ
う)よく知っています。子供の頃からへそ曲がりの私は(現在
もへそ曲がり!トリプルアクセル!)、容赦なく“個体差のが大きいでしょ!”と言い放っていました。やなガキです。3−4年で生活サイクルが変わっていく
のはおそらく人間という生き物としてのサイクルもだいたいはまり、社会的なサイクルも今も昔もだいたいそんなものだったのかも知れません。私の親の世代は
なんとなく誰かが亡くなるとあ“あーあの人厄年だったからね。”とか“あーあのおばぁちゃん厄前に逝きたかったのね“なんて自然に出ていました。さすがに
今の学生の親御さんたちはそんなに自然に出ないとは思いますが、“北枕”を避けるのは今の学生でも言いそうな話ですね。そういった物を活用して社会圏や経済圏が確立して、多くの人が言い伝えていっているのでしょ
う。まあクリスマスとかバレンタインとかと同じような物と考えていい
のだと思っています(うわーまた怒られそう・・・まだへそ曲がっていますね)。こういったものには精神的には多くの作用する物があり、非常時に対して“安
定“をもたらしたり、祭りのような“高揚感“を演出したり、場合によっては“いいわけ“、“はけ口“など考えてみればいろいろあります。たぶん信仰なんか
もそういうが体系化・高度化したものなのでしょう。もちろん良いことも悪いことも生じるのでしょう・・・たぶんね。
そうそう気になることです。最近50−60才ぐらいの人がよく倒れてい
ます。社会的加重ラインと肉体的耐性ラインの交点がこのへんになっているのでしょうか?
大久保先生と、バブル崩壊後の10年間人員削減の中、本当
に苦しい思いをしながら体をこわしている人が今増えているんじゃないかという話をよくしま
す。確かに我々でもきついときがあります。我々の親の世代はもう60−70代になります。ちょうど退職なさる先生たちがその年齢です(みんな元気なので
ちょっと安心です)。大久保先生も私もこの11月後半から12月はコ
ンスタントに週2回学校泊ま
り込みのペースです(今日なんかも1/9−1/11いるはめに・・・・)。中原先生も。まあ中原先生が倒れたら気をつけようと大久保先生と話しています。
中原先生本当に大丈夫かな?中原先生はカナリヤ?体も
すり減るのかな??
ところで、“今の5年間は必ず次の5年間に生かされる”、私はいつもこう考えています。で
すから
今の私は前の5年間が非常に大きく影響していて、次の5年にむけて蓄え・鍛えているんだと思っています。誰に言われたか忘れましたけど
ね・・・・・・・・。だから私はきっとこれからも走ります。廊
下も走ってます。階段も1っこ飛ばしで下りてます。あまり頭が良くないので人を驚かすためには普通のやり方はしません。普通にやるなら2倍
やれば普通
じゃなくなるしね(バカかもね)。バカできるのも才能かもな・・・・バカモーメントが大きいです。いつまで体力勝負できるかなちょっと心配?この体をくれ
た親や支えてく
れている家族や友人や仲間や学生や先生方や知人・隣人にいつも感謝しています。一人じゃないって考えられることはとても幸せなんだと思っています。
だからみんなにも私がいます。何十分の1か、何百分の1か、それとも何万分の1かわかりませんが、私はみんなの一部になっています。同じようにみんな
も私になっています。
なんかぐちゃぐちゃだな、文章・・・ま、このpageだからいいか・・・
今年も多くの人を失っているような気がしてなりません。私に関わってくださった今年
(2003)亡く
なった方たちにお礼を申し上げます。ありがとうございました。皆さんがいたことそのものが私の一部になっています。またこのように思い起こし、考えること
は私や私の周りの人たちに皆さんが伝わっているのだと思っています。ほんとうにありがとうございます。感謝いたします。
私にも大切な人たちがいっぱいいます。みんなも大切な人たちです。だからみんなに言いたい。
いろいろなことに向き合
うこともあるでしょう。
いろいろな決断に向き合うこともあるでしょう。
いろいろな後悔もするでしょう。
きっと時間もかかるでしょう。
きっと解決もしないでしょう。
すぐに変わってしまうこともあるでしょう。
何にも変わらないと思うこともでしょう。
それが
人なんでしょう。
でも、ちょっとだけ優しい気持ちになれました。ちょっとだけ暖かい気持ちになれました。みんな
のおかげでしょう。
とくべつなものもそうでないものも、一つ一つ大事なものなんです。
だからいつもみんなのことを大切に思っています。
だからいつもみんなに感謝しています。
だからありがとう。
風が吹きます。